5月31日は、日本音楽の響きを世界へ押し広げた伊福部昭の誕生日

5月31日は、日本の作曲家が“日本らしさ”を世界にどう響かせるか、そのひとつの答えが生まれた日だ。1914年のこの日、北海道に生まれた伊福部昭は、クラシック、映画音楽、教育の三つの領域で巨大な足跡を残し、とりわけ『ゴジラ』の音楽で広く知られる存在になった。
1914年5月31日、伊福部昭が北海道で生まれた
伊福部昭は1914年5月31日、北海道釧路で生まれた。ほぼ独学で作曲を学び、1935年には《日本狂詩曲》でチェレプニン賞第1位を受賞して早くから国際的な注目を集めている。さらに1954年には映画『ゴジラ』の音楽を担当し、重くうねる低音や打撃的なリズムによって、日本の特撮映画史そのものを形づくった。だが彼の重要さは映画音楽の知名度だけではない。アイヌ文化や日本の土俗的なリズム感、身体性を作品へ取り込みながら、西洋音楽の語法だけに回収されない独自の音世界を築いたことにある。
“日本の風土を鳴らす”という発想が後続に残したもの
伊福部の作品を聴くと、旋律の美しさ以上に、地面を踏みしめるような拍動や、祭祀を思わせる反復の強さが耳に残る。これは単なる異国趣味ではなく、日本列島の風景や民俗感覚を作曲の核へ持ち込もうとした姿勢の表れだった。《シンフォニア・タプカーラ》のような管弦楽作品では、その感覚がクラシック作品として高い完成度に昇華されているし、映画音楽では『ビルマの竪琴』や『座頭市』シリーズなどでも、物語の重力を音で支える力を発揮した。教育者として芥川也寸志、黛敏郎らと接点を持ち、多くの後進に影響を与えたことも見逃せない。日本の音楽が“西洋化のコピー”では終わらないための道筋を、伊福部は作品と思想の両方で示した。
今日聴くなら
まずは《日本狂詩曲》で、若き伊福部がいかに鮮烈な響きを最初から持っていたかを味わいたい。次に《シンフォニア・タプカーラ》を聴けば、土俗性と洗練が矛盾せず共存する作風の凄みがよくわかる。そして広く親しまれている『ゴジラ』の音楽に戻ると、その有名な主題が単なる映画伴奏ではなく、日本の作曲史に刻まれたひとつの発明だったことが見えてくる。5月31日は、日本の音が世界へ届く形を作った作曲家の誕生日として覚えておきたい。