7月21日は、日本のタンゴを大衆に開いた藤沢嵐子の歌声を思い出す

7月21日は、藤沢嵐子の誕生日。1950年代の日本でタンゴが広く親しまれていく流れを振り返ると、この人の存在はやはり大きい。異国の都市音楽だったタンゴを、日本の聴き手にぐっと近いものとして届けた歌声は、いま見直してもかなり特別だ。
「タンゴの女王」と呼ばれた藤沢嵐子の歩み
藤沢嵐子は1925年7月21日、東京府生まれ。東京音楽学校で声楽を学んだのち、戦後は生活を支えるためにダンスホールなどで歌い始めた。やがて早川真平に見いだされ、「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」の専属歌手として本格的にタンゴへ取り組むようになる。1951年にはビクターからレコードを出し、1950年代には精力的なコンサート活動を通じて人気を拡大した。こうした流れのなかで藤沢は「タンゴの女王」と呼ばれ、日本のタンゴ・ブームを象徴する存在になっていった。
アルゼンチン公演と紅白出場が示した、大衆文化としての広がり
藤沢嵐子の重要さは、単に上手い歌手だったというだけではない。1953年には早川真平らとともにアルゼンチンへ演奏旅行に出て、現地でも人気を得た。その録音が日本で放送されると注目はさらに高まり、タンゴが一部の愛好家だけでなく、より広い大衆へ届くきっかけにもなった。さらにNHK紅白歌合戦には1957年から1961年まで5回連続で出場している。海外由来の音楽を日本のテレビとラジオの時代へ自然に接続したという意味で、藤沢嵐子の存在は日本ポピュラー音楽史のなかでも見逃せない。
今日聴くなら
今日はまず「さらば草原よ」や「ベサメ・ムーチョ」を聴いて、藤沢嵐子の声が持つ艶やかさと品のよさを味わいたい。そこから当時の早川真平とオルケスタ・ティピカ東京の演奏へ耳を広げると、戦後日本が海外音楽をどう自分たちの表現として咀嚼していったのかも見えてくる。7月21日は、日本の歌謡史のなかでタンゴがしっかり根を張った瞬間を、藤沢嵐子の歌声からたどってみたい。