7月22日は、浜口庫之助が歌謡曲の間口を広げた仕事をたどる

7月22日は、浜口庫之助の誕生日。戦後歌謡を振り返るとき、この名前は単なるヒットメーカーでは片づけにくい。ジャズやラテンを通ってきた耳で日本語の歌を組み立て直し、歌謡曲の表情をぐっと豊かにした人だからだ。
バンドマンから作詞・作曲家へ転じた浜口庫之助
浜口庫之助は1917年7月22日、神戸市生まれ。1936年に帝都ダンスホールのバンドボーイとなり、戦後は進駐軍向けの演奏や自らのバンド活動を続けた。1953年から1955年までは「浜口庫之助とアフロ・クバーノ」としてNHK紅白歌合戦にも出場している。その後、1957年に外国音楽の演奏だけでなく日本の曲を自分で作るべきだと考え、歌手活動から作詞・作曲中心へ軸足を移した。この転向が、のちの日本歌謡史に大きく効いてくる。
1960年代歌謡曲の空気を作ったヒットメーカー
転向後の浜口は、1959年の「僕は泣いちっち」や翌年の「有難や節」で頭角を現し、1960年代には一気に存在感を強めた。西郷輝彦「星のフラメンコ」、マイク真木「バラが咲いた」、ザ・スパイダース「夕陽が泣いている」、石原裕次郎「夜霧よ今夜も有難う」など、書いた曲を並べるだけで当時の歌謡の風景が見えてくる。ラテン、ジャズ、ムード歌謡、青春歌謡を横断しながら、それでも大衆の口に残る旋律へ着地させるうまさこそ浜口庫之助の真骨頂だった。
今日聴くなら
今日はまず「星のフラメンコ」と「バラが咲いた」を並べて聴きたい。熱気のある歌謡曲と、肩の力が抜けたフォーク寄りのヒットを同じ作家が書いていることに、浜口庫之助の懐の深さがよく出ている。そこから「夜霧よ今夜も有難う」までたどれば、7月22日が日本の歌謡曲をもっと自由に、もっと開かれたものへ押し広げた作家を思い出す日に見えてくる。