7月25日は、久保田利伸が日本のR&Bをメインストリームへ押し広げた歩みを聴き返す

7月25日は、久保田利伸が日本のR&Bをメインストリームへ押し広げた歩みを聴き返す

7月25日は、久保田利伸の誕生日。日本のポップスがR&Bやソウルをまだ“海外のかっこいい音”として見ていた時代に、それを日本語の歌として自然に定着させたシンガーの歩みを聴き返したい。

1985年の作家活動開始から、1986年のデビューで独自のグルーヴを持ち込んだ

久保田利伸は7月25日生まれ。1985年に作曲家として活動を始め、田原俊彦や鈴木雅之、小泉今日子らへの楽曲提供を経て、1986年にシングル「失意のダウンタウン」でメジャーデビューした。ソニーミュージックの公式サイトでも、オリジナリティあふれる音楽性と高い歌唱力で日本の音楽シーンに新風を送り込んだパイオニアと紹介されている。打ち込みの洗練、黒っぽいリズム感、そして歌の熱量がひとつに結びついたサウンドは、当時のJ-POPの中ではかなり新鮮で、久保田の登場そのものが“歌の乗り方”を更新する出来事だった。

ニューヨークでの挑戦と「LA・LA・LA LOVE SONG」が示した大きさ

久保田の重要さは、R&Bやソウルへの憧れを模倣で終わらせなかったところにある。1990年代にはニューヨークへ拠点を移し、Toshi Kubota名義でアメリカ市場にも挑戦した。その越境の経験を持ちながら、日本では1996年の「LA・LA・LA LOVE SONG」が社会的な大ヒットになる。洒落たコード感や滑らかなグルーヴを備えた曲が、テレビドラマの主題歌として広く届いたことで、ブラックミュージック由来の感覚は一部の音楽ファンだけのものではなくなった。J-R&Bという言葉が定着していく流れを考えるとき、久保田の存在はやはり外せない。

今日聴くなら

今日はまず「Missing」で声そのものの説得力を味わい、続いて「You were mine」や「流星のサドル」で80年代後半の鮮烈さを確かめたい。そこから「LA・LA・LA LOVE SONG」へ進むと、久保田利伸が日本のポップスに持ち込んだR&Bの感覚が、特別な実験ではなく日常のヒットソングになっていく流れがよくわかる。7月25日は、日本語でグルーヴする歌の歴史を改めて聴き直す日にふさわしい。