7月26日は、萩原健一がグループ・サウンズとニュー・ロックをまたいだ歌声を思い出す

7月26日は、萩原健一の誕生日です。俳優としての印象が強い人でも、ショーケンの名前を音楽から先に思い出すファンは少なくありません。ザ・テンプターズのハスキーなボーカルから、PYGのツインボーカル、さらにソロへと続く流れをたどると、日本のロックが歌謡曲と交差しながら育っていった輪郭が見えてきます。
グループ・サウンズの頂点にいたボーカリスト
萩原健一は1950年7月26日生まれ。16歳だった1967年に、ザ・スパイダースの弟分バンドとして売り出されたザ・テンプターズのボーカリストとして「忘れ得ぬ君」でデビューしました。翌1968年には「神様お願い!」がオリコン2位、「エメラルドの伝説」が1位を記録し、ザ・テンプターズはザ・タイガースと並ぶグループ・サウンズの人気バンドになります。ローリング・ストーンズやブルースの感触を吸い込んだバンドの荒さと、萩原の繊細でかすれた声が結びついたことで、当時のGSの中でも少し不良っぽい匂いを持つ存在として際立っていました。
PYGが示した、次の時代への橋渡し
1970年末にザ・テンプターズが解散したあと、萩原は1971年に沢田研二、井上堯之、大野克夫、岸部修三らとPYGを結成します。ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、ザ・スパイダースのメンバーが集まったこのバンドは、日本のスーパーグループの先駆けと呼べる編成でした。GSのスターだった面々が、そのままニュー・ロックへ踏み出そうとした試みは当時かなり野心的です。萩原はのちに俳優業へ比重を移しますが、ザ・テンプターズで得たスター性と、PYGで見せたロック志向の両方を経たからこそ、歌手としても俳優としても唯一無二の気配をまとえたのだと思います。
今日聴くなら
まずはザ・テンプターズの「エメラルドの伝説」。GSの熱狂の中で、萩原健一の声がどれだけ生々しく響いていたかがよく分かります。もう1曲選ぶなら、PYGの「花・太陽・雨」。グループ・サウンズの終幕と日本語ロックの次の入口が、同じフレームの中に収まっているような1曲です。7月26日は、ショーケンを俳優としてだけでなく、日本のロックの転換点に立っていた歌い手として聴き直したい日です。