7月27日は、SHOW-YA寺田恵子の歌声から女性ロックの突破力を聴き返す

7月27日は、SHOW-YAのボーカル寺田恵子の誕生日。80年代の日本で女性だけのロックバンドがまだ珍しかった時代に、その歌声と存在感で風景を変えた人の歩みを改めてたどりたい。
1982年の受賞と1985年のデビューが、女性ロックバンドの見え方を変え始めた
寺田恵子は1963年7月27日生まれ。SHOW-YAと寺田本人の公開プロフィールでは、寺田が1982年にYAMAHA Light Music Contest ’82 レディース部門でベストボーカリスト賞を受賞し、SHOW-YAが1985年8月にシングル「素敵にダンシング(Coke Is It)」でメジャーデビューしたことが確認できる。SHOW-YAは1980年代のバンドブームの中でも、女性だけのハードロックバンドとして先駆け的な存在だった。デビュー当初はアイドル的な見せ方も求められたが、そこで終わらず、自分たちの演奏と爆発力でロックバンドとしての説得力を積み上げていったところに、このバンドの大きさがある。
「限界LOVERS」と「NAONのYAON」が残した、日本の女性ミュージシャンへの影響
SHOW-YAの重要さは、ヒット曲だけでは測れない。1987年からは女性ミュージシャンのみを集めた野外イベント「NAONのYAON」を企画・主催し、女性がロックを鳴らす場そのものを広げていった。さらに1989年にはアルバム『Outerlimits』が60万枚超のセールスを記録し、同年のシングル「限界LOVERS」や「私は嵐」も広く届いた。女性バンドは“珍しさ”で語られるものではなく、ライブで観客を圧倒しヒットも出せる存在なのだと示した意味は大きい。後に続く女性ロックバンドや、女性ミュージシャン中心のフェスの流れを考えると、SHOW-YAと寺田恵子の突破力は日本の音楽史の中でかなり大きい。
今日聴くなら
今日はまず「限界LOVERS」で、寺田恵子の張り裂けるようなボーカルとバンドの推進力を浴びたい。続けて「私は嵐」を聴けば、80年代末のSHOW-YAが持っていたスケール感がよくわかる。さらにデビュー曲「素敵にダンシング(Coke Is It)」へ戻ると、そこからどう自分たちのロックへたどり着いたかが見えて面白い。7月27日は、日本の女性ロックが“特別枠”ではなく本流として鳴り始めた瞬間を聴き返す日にしたい。